戦国時代最強の騎馬車団を率いた甲斐の名将、武田信玄。独断的だった父信虎とは対照的に、史書・兵書・経書を読んで勉学に励み、真髄を極めての政治統制を行いました。有名な「風林火山」 という言葉も、中国の兵法書「孫子軍争編」からとったもの。合戦の際には陣頭に打ち立てて、無敵の強さを誇り、領土を拡大していきました。

 

言わずと知れた、武田信玄の宿敵、上杉謙信との川中島での合戦をはじめ、繰り返された壮絶な戦で実際に使われ刀傷が残る軍配や軍旗の数々。そして終焉を迎えた地には、一族の墓も残っています。風林火山の旗が駆け巡った足跡を辿り、戦同時代に思いを馳せ、甲州の地に息づく歴史を、ぜひ肌で感じてみてください。

 
  孫子の旗
  これが、風林火山として有名な旗。 「孫子軍争編」からとった、恵林寺 の快川国師の書と言われ、合戦の際には、陣頭にこの旗を掲げて、武田軍は戦に勝ち続けました。
(塩山 雲峰寺)
  武田の赤旗  
 

南蛮渡来の赤いラシャ生地でつくら れた軍旗。旗の上部には、武田の割菱 が鹿皮によって縫い取られています。
(大和 栖雲寺)

   
   

日の丸御旗

 

日本最古の日の丸と言われる御旗は、 源頼義が後冷泉天皇からうけ賜ったものが、後に甲斐源氏の宗家武田家に伝わり、勝頼公の死後、家臣が雲峰寺に納めたと言われます。
(塩山 雲峰寺)

   

軍配団扇
  信玄公が愛用して いた「軍配うち わ」。戦の指揮を 執るときに使うものですが、これは 信仰用で、朱塗り の日の丸の中に、 軍神毘沙門天の種 子「バイ」が配さ れています。
(塩山・恵林寺)
 

信玄公軍配
  合戦で使われて いたもので、重さ 3キロの鉄製軍配。 中央には水晶がはめ込まれ、日月と七曜星が配されて います。縁には実 戦でついたと思われる刀傷が見られます。
(大和・栖雲寺)
 
武田不動像

信玄公が31歳の時、比叡山より大僧 正位を贈られた記念に、京から仏師康 清を呼び寄せ自分の体を模刻させ、髪の毛を漆にまぜて彩色し、作られた
と言われています。

恵林寺(塩山)

 
国宝 楯無鎧
正式には「小桜韋威鎧兜大袖付」とい う。新羅三郎義光以来、御旗とともに
武田家の惣領家に伝わる重宝。矢や 刀を防ぐのに楯はいらないという意味 から、楯無鎧と呼ばれています。

菅田天神社(塩山)
   
 
信玄五箇条の壁書
朝廷から禅師の号を賜る勅許の内示を 受けた向嶽寺の僧たちに、学問と修行に 励み、それにふさわしい寺の格式を持つ ように努めることを、信玄公が諭したも のです。
向嶽寺(塩山)
   
   

武田信玄の墓 
武田信玄公の菩提所であり、境内には 信玄公の墓があります。天正元年4月 12日没。勝頼公によって、甲府岩窪 の地にあった遺骸が恵林寺に移され、 大葬儀が行われました。
(恵林寺 塩山)
  勝頼公・夫人・信勝公の墓
徳川と織田の連合軍に追い詰められ、
勝頼公の最後の地となったのが、日川
渓谷の谷あい。徳川家康公によって建
立された景徳院には、ひっそりと3人
の墓が佇んでいます。
(景徳院・大和)
 
   

  薬師堂  
  行基によって開削された寺と言われ、古く から武家の祈願所として、武田家からの保 護も厚く、信玄公も天文年間伽藍の大修復 を行ないました。関東最古の寺院建築です。
(大善寺 勝沼)