戦国時代最強の騎馬車団を率いた甲斐の名将、武田信玄。独断的だった父信虎とは対照的に、史書・兵書・経書を読んで勉学に励み、真髄を極めての政治統制を行いました。有名な「風林火山」 という言葉も、中国の兵法書「孫子軍争編」からとったもの。合戦の際には陣頭に打ち立てて、無敵の強さを誇り、領土を拡大していきました。
言わずと知れた、武田信玄の宿敵、上杉謙信との川中島での合戦をはじめ、繰り返された壮絶な戦で実際に使われ刀傷が残る軍配や軍旗の数々。そして終焉を迎えた地には、一族の墓も残っています。風林火山の旗が駆け巡った足跡を辿り、戦同時代に思いを馳せ、甲州の地に息づく歴史を、ぜひ肌で感じてみてください。
南蛮渡来の赤いラシャ生地でつくら れた軍旗。旗の上部には、武田の割菱 が鹿皮によって縫い取られています。 (大和 栖雲寺)
日の丸御旗
日本最古の日の丸と言われる御旗は、 源頼義が後冷泉天皇からうけ賜ったものが、後に甲斐源氏の宗家武田家に伝わり、勝頼公の死後、家臣が雲峰寺に納めたと言われます。 (塩山 雲峰寺)
信玄公が31歳の時、比叡山より大僧 正位を贈られた記念に、京から仏師康 清を呼び寄せ自分の体を模刻させ、髪の毛を漆にまぜて彩色し、作られた と言われています。 恵林寺(塩山)