甘草屋敷
 
全体図
 高野家は、江戸時代に薬用植物である甘草の栽培をして幕府に納めていた家で、古くから「甘草屋敷」と呼ばれてきました。高野家の沿革がわかる貴重な資料「甲州甘草文書」(県指定文化財)によると、八代将軍徳川吉宗治世の享保5年(1720年)幕府の採薬使丹波正伯が、高野家屋敷内にあった甘草を見分した結果、幕府御用としてその栽培と管理が申し渡されるとともに、一反十九歩の甘草園は年貢諸役を免除され、以後同家が栽培する甘草は、幕府の小石川薬園で栽培するための補給源として、また薬種として幕府への上納を負うこととなりました。  
 豊かな歴史文化を誇り、暮らしに四季折々の伝統行事が息づく「えんざん桃源郷」の春は、サクラ・モモ・スモモなど一面の花で彩られます。
  2月中旬から4月中旬にかけて行われる「ひな飾りと桃の花まつり」のメイン会場となる甘草屋敷では、江戸・明治・大正・昭和時代の「ひな人形」を、祭りや行事の中で伝承されてきた品々や、甲州市らしさをイメージした「つるし飾り」と共に展示します。
ひな飾り
 
旧高野家住宅
 
 住宅は19世紀初頭の建築と考えられ、桁行十三間半(24.8m)梁間六間(10.9m)あり、屋根は大棟を東西に通した切妻造、茅葺型銅板葺で、南面中央部に二段の突き上げ屋根を設けた大型民家です。屋根を支える柱は高く棟まで通る棟持柱で、これに梁を重ねて渡した間に見せ貫を通し漆喰塗とした妻壁の構造は、優れた美観を呈しています。この棟持柱は、同じく茅葺切妻造民家である「高塀造(大和棟)」や「合掌造」にはみられない、甲州地方の特色を遺憾なく発揮したものです。
主屋は平成5年に旧所有者から甲州市に寄附され、それを機に「薬草の花咲く歴史の公園」として、文化財の民家と江戸時代の屋敷構えとが一体となった景観づくりを進められました。平成8年7月には附属屋五棟(巽蔵・馬屋・東門・文庫蔵・小屋)が附(つけたり)の三棟(地実棚・裏門・座敷門)宅地(4,932.07㎡)とともに重要文化財の追加指定を受け、8年にわたる保存修理・整備事業により、建築当初の姿に復されています。
 
 
 
 
子ども図書館
 
   愛子内親王殿下ご誕生を記念し、平成14年7月に附属屋・文庫蔵を絵本や児童書を中心とした「子ども図書館」として整備しました。同年9月には、皇太子・同妃殿下が大菩薩峠周辺を行啓された折、ご視察の栄を賜りました。
書架やテーブルには、温かみを感じさせる県産の間伐材を使用しています。障子越しのやわらかな光のあたる和室で、絵本を読み聞かせながら、お子さんお孫さんとのふれあいの時間をお過ごし下さい。
 
甘草?
 
 甘草は甘味料や調味料として繁用される一方、薬用としても広く用いられ、重要な生薬でもあります。甘草にはGlycyrrhiza uralensis(ウラルカンゾウ/東北甘草)、G.glabra(西北甘草)、G.inflata(新彊甘草)などがあり、日本では年間約1万トンが中国・旧ソ連・アフガニスタンなどから輸入されています。このうち食品の甘味料などに3分の2が使われ、残り3分の1が薬用にされますが、成分は根およびストロン(根茎)に含まれるグリチルリチンです。食品としては、醤油・味噌・せんべい・チョコレート・塩辛など、多種多様の品目に使われています。薬用では主に漢方薬の原料として、厚生労働省指定漢方処方210品目中150処方(71%)に配合され、最も多用されている原料です。
甘草屋敷の甘草はウラルカンゾウです。高野家ではこの甘草栽培により、明治5年(1872年)まで免税の特典を受けました。ここに残る甘草は「甲州甘草文書」の記述によると少なくとも340年を経ていることになり、日本で最も古い由緒を持つものとして知られています。
 
     
 
名称 旧高野家住宅 甘草屋敷
住所 甲州市塩山上於曽1651
電話 0553-33-5910
ホームページ
参拝時間  
休日  
交通のご案内 塩山駅北口正面
   
   

  座敷は甘草栽培のころ幕府の役人が逗留したと伝えられるだけあって、簡素な中にも気品が感じられる。